ikurinkoの日記

急性前骨髄球性白血病になった私の闘病記録

顔がぱんぱん


7月30日には白血球は0.2まで下がった。

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この頃くらいからだろうか、


歯が痛み出してきた。


白血球が低い状態で虫歯があっては感染の面でも危険なので、


同じ病院の歯科の先生が病室まで来てくれて観てくれた。(私は病室から出られない為)



幸い虫歯ではなかった。



それと同時にこの頃くらいから、


頬が腫れてきて口があまり開けられなくなった。


ご飯を食べることも一苦労だ。


血が止まりにくい状態の為、

噛む時は口の中を噛まないようにと気を付けてはいたが、気付かない間に噛んでしまっていたらしく、大きな血豆が出来たりもした。



私の顔がだんだんおむすびのように腫れていった。


白血球が下がり始める


入院から8日後の7月17日、


白血球数が1.0をきるようになり0.8になった。


白血球がかなり低くなってきていることもあり、更に感染に気をつけなければならない。


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白血球が低いと言うことは抵抗力がなく、感染し易い状態という事だ。


食べ物や飲み物、回りの埃などかなり気を使った。


熱は上がったり下がったり、


頭はどーんと重たい状態が続いていた。


食欲も無かったが、コンビニのパンとオレンジジュースは何とか食べれた。



やがてトイレに行くのもしんどくなり始め、尿を貯める管を付けてもらった。これは尿の量をはかる役割もあった。



鼻からは酸素チューブ、抗がん剤の管、輸血の管、尿の管、沢山の管に繋がれた状態で私は何度も考えた。



なぜ私なのか、なぜ神様は私を選んだのか。




今回も順調!!

かなりお久しぶりのブログになってしまいました( ˃̣̣̥ω˂̣̣̥ )



先日骨髄検査を受け、今回も特に異常はなく


順調です!!


その度に一安心します( ˃̣̣̥ω˂̣̣̥ )



そして今回のベサノイド期間も特に何の症状もなく飲み終わりました!



順調に進んでおります☆


ニュースで見ましたが、

今もコロナの影響でか、輸血の血液が足りていないようですね。


輸血によって助かる命が沢山あります。


私もその内の1人でした。献血して下さる方にこれ程感謝したことはありません。


どうか行ける方は献血に協力して下さると嬉しいです。


𓅭







家族も生活が一変



キロサイドは7日間、

イダマイシン2日間、

ベサノイド15日間、


同時投薬の苦しみに耐える日々。


嘔吐、熱、頭痛


今までに味わったことの無い辛さだ。



それでも、家族の顔を見るとすごく安心したし、

気持ちが和らいだ。



私が病気になったことによって、


周りの家族の生活も変わった。



父は京都の職場から終わったら大阪の病院まで来てくれて夜また滋賀の家に帰る。


娘が産まれたばかりの弟も京都から来てくれた。(義妹も殆ど1人での子育て大変だっただろう)


叔母も自分の子供や家の事、仕事もある中滋賀から何度も来てくれた。


広島のお義母さんは我が家に泊まり込みで来てくれて、家事も色々としてくれた。(その間広島のお義父さんはお婆さんの介護や家の事大変だったと思う)


そして何より、主人の生活は一変したであろう。


自営業のため、多少の時間の調整は出来るのだが、


今までは夜遅くまで仕事をしていたが、


面会時間も決まっているため


間に合うように仕事を終わらせ(時には面会後にまた仕事をする時もあった)来てくれた。


夜どうしても無理な時は

朝仕事前に来てくれた。




だが、この頃仕事の忙しさと私の病気のショックなどが重なり主人は自律神経が乱れたのか


頭痛と微熱が続いた。


免疫が低下している私に熱を移したら危険だということで、1週間近く会えない日もあった。


とっても寂しくて、早く顔が見たかった。


後に主人は私に言った。


「今まで当たり前に隣に寝ていた私が急に居なくなってショックが大きかった。こんなにも人を愛おしく思ったのは初めて。」だと。




病気になってショックなのは、

私だけではないんだと思った。



そして、この人と結婚できて私は幸せ者だと。



𓅭



入院二日目


次の日、


弟と叔母も駆けつけてくれた。



白血球は更に増え、43.1。


前日から投与しているキロサイドと同時に


イダマイシンという抗がん剤もする事になった。



高熱もあり食欲は全くなかった。


音も聞きたくない、携帯もテレビもみたくない。



「テレビくらいつけたら?」


そんな私を見て気を休めるために叔母が言った。


病気を受け入れられ無い気持ちとショックで

私はベットの上で天井ばかり見ていた。





一人のときは、母のことを思い出していた。


癌を告げられた時、母はどれ程泣いたのだろう。


まだお母さんのところには行きたくないよ。


心の中でそう叫びながら、持っていたタオルを顔に押し付けて何度も泣き叫んだ。




𓅭




現在の途中経過です


前回の続きがまだ書けていませんが・・・


現在維持療法の途中経過です!



先日骨髄検査をし、特に問題はなく順調です✨✨✨


維持療法は、

ベサノイドを15日間飲み、2ヶ月半お休みしてというのを二年間繰り返します。


私はあと1年です!


ベサノイドを飲んでいる期間はその時によって頭痛があったり、蕁麻疹が出たりと症状が違いますが、今回の期間は(昨日飲み終わりました)、殆ど症状がなくとっても快適に過ごせました!!!それでも毎回口角が切れたりはしますが・・・😂


前回、顔や首にひどい蕁麻疹が出来、しんどかったので今回特に何も無くとても嬉しいです😆!!


あと1年と思うと長く感じますが、


楽しいこといっぱいしながら頑張ろう✨



そして、今新型コロナウイルスの影響で

献血をしにいく人が少なくなっているとニュースで見ました。

私も含め血液の病気の方にとって輸血は大変救われました。輸血がないと今生きてることもなかったと思います。

献血をしてくれる方にどれ程感謝していたか分かりません。

その気持ちは退院した今も同じです。


今も病室で闘っておられる方々のため、

体調に気をつけながら献血してくださる方が増えればいいなぁと願っています。


𓅭

血液の病気です

 

 

病院へ着き、

 

採血と腹部のエコーをし診察まで待つ。

 

 

名前を呼ばれ診察室へ入った。

 

妊娠の可能性はないですか?

と、真っ先に聞かれた。

 

ありません。

と答えた。

 

どうやら子宮辺りがすごく腫れていたみたいで

子宮外妊娠を疑ったらしい。

 

多分大量の経血があったせいだろう…

 

 

続けて先生が、

 

血液の病気です。

 

すぐ入院になります。ご主人にすぐ来てもらって、

血液内科に行ってください

 

と言われた。

 

 

 

頭が真っ白になった。

血液の病気?

 

 

この時はまだ病名など分からなかったが

血液の病気と言えば白血病くらいしか知らず

 

白血病だったらどうしよう…

 

その事ばかり考えていた。

 

 

この時あまりの頭痛で主人に電話するのも辛く

 

先生が電話をかけてくれた。

 

 

 

15分くらいして

主人がびっくりした表情で駆けつけてきた。

 

 

私は主人の顔を見て少しホットした。

 

心強かった。

 

 

そして二人で血液内科の診察室へ入った。

 

 

血液内科の部長先生だった。

 

ここでもハッキリした病名は言われない。

 

白血球の数値がかなり高い

すぐに入院の手続きをして骨髄検査をして治療をはじめましょう

 

との事だった。



そのような流れで、

2018.7.10  私の人生初めての入院生活が始まった。

 


この時白血球は23000

 

ヘモグロビン 6.3

 

血小板 5.0

 

であった。

 

非常に出血しやすく危ない状態だった。

 

 

車椅子に乗り病室まで運ばれた。

 

個室のクリーンルームだ。

 

そこですぐに骨髄検査をした。

 

初めての骨髄検査・・・

痛かった。でもそれ以上に体がしんどかった。

 

 

看護師さんが

すぐカテーテルして抗がん剤の準備しますねと言った。

 

 

抗がん剤

私癌なんですか?と聞いて泣いた。

 

 

すぐに先生がきて、白血病です。

急性前骨髄球性白血病。(APL)

今は非常に出血しやすい状態なので1番大事な時です。

抗がん剤と飲み薬で治療していきます。

と言われた。

 

 

私は、これは遺伝ですか?と聞いた。

私は母を肺癌で亡くしていたので怖かった。

 

 

遺伝ではないですよ。食生活とかでも無いし、ハッキリとした原因は分からないんです。

との事だった。

 

 

 

私が癌?白血病

次は私が死ぬの?

 

私は泣き崩れた。

と同時にもっともっと生きたい。はじめてこんな気持ちになった。

 

 

 

 

それから心臓のエコーをした。心臓は強く、薬にも負けないねと言われた。

 

 

カテーテルも入れる。

普通は大体首からだそうだが、私の場合は出血のリスクが高いため腕から入れることになった。

 

 

それから私の抗がん剤治療ははじまる。

 

同時にベサノイドというビタミンA誘導体の薬も飲み始めた。

前骨髄球の分化を正常化させる薬である。

 

このベサノイドが出来てからAPLの病気は劇的に治せるようになったようだ。

 

 

輸血もした。

 

全てが初めてで気持ちが追いつかないまま治療がはじまった。

 

 

私の父と広島から義母も駆けつけてくれた。

私が色んな管に繋がれている間、

主人、父、義母の3人で先生達から説明があったようだ。

 

 

最初の2週間はかなり大事な時です。

 

覚悟をしておいて下さい、と。

 

𓅭